寒い寒い2月と3月の毎週水曜日、蹴上にある京都国際交流会館に、ロシア語講座を受けるため8回連続で通いました。ライフワークであるタペストリーの「姉妹都市シリーズ」次回作は「キエフ」とひょんなことから決まり、何も知らぬウクライナに接近する近道を指し示してくれる方があり、誘われたのです。この歳で語学?と一瞬ためらいましたが好奇心には逆らえず、夜6時から1時間半のレッスンに皆勤賞。学ぶという久しぶりの体験にはまり、パリの里美さんがスワヒリ語を学んでいた時、壁にメモを沢山ピンナップしていたことを思い出しました。真似をして見るたび声に出し暗唱していたら、ウズベキスタン出身のカモラ先生から「初めてですか?」とたずねられ、すこし自信がつきました。子育て中に始めたフランス語は挫折したけれど、なんでもご縁の時期があるのですね。プーシキンの詩を朗読する中級クラスと混合でしたが、33のキリル文字を暗唱できた時、先輩たちの拍手ほど嬉しいものはありませんでした。言葉を学ぶということは、その国を学ぶことと改めて知り、将来母国で日本語教師を目指して、京大大学院で言語学を学ぶチャーミングなカモラ先生と出会えたことも幸いでした。これから「キエフのタペストリー」に描きたいものや印象的なロシア語をウクライナ語に変換しなければなりません。秋に向かって楽しいひと仕事となりそうです。最後の打ち上げ会で40も歳の差のある先生から「とても良く理解できていて、宿題も忘れず本当に良かったです」とほめられ、まるで幼い子どものように嬉しさがこみ上げてきました。
4月2日、東京のレッスンに上京。銀座・松屋でヘレンド(ハンガリー)の繊細なマグカップに魅せられます。シロツメクサや野の花を描いた新作とか。すこし遅めですが自分自身へのバースデープレゼント。あのニューヨークのツインタワーが崩れた直後、ドイツのハンブルグ郊外で催されたクラフト展に出展のため出かけました。なぜ覚えているかというと、犯人の逃走先がハンブルグのようで、アメリカからCIAが飛んできた、と噂になっていたからです。ところでマグカップとのご縁ですが、村の公会堂のような所で、ドイツはもとよりオランダからもやって来たクラフトレディーたちと仲良く過ごした後、企画してくれたK社のひとと、現地社員の案内で北東ドイツのドライブにでかけました。リューベックという港町の旧市街にあるホテルに泊ったとき、モーニングのあと、薬を飲むためにお湯をもらって部屋に戻り、そのマグカップの形や気取りのない風情が気に入ってしまい・・・。以来ずっと朝のミルクティーの相棒でした。どこも欠けずにいますが、いまさら返しにもいけず感謝、感謝。松屋の誰も乗っていないエレベーターに流れていたBGMに触発されて、4丁目にある山野楽器へ。ひさしぶりにウィンダムヒルを聴きたくなりました。25年前と書いてあるから、その時聴いた「オータム」はとっても印象的でした。今回はその25年の集大成的「ウィンドゥズ」。4月の京都クラスでアコースティックなサウンドが静かに流れていることでしょう。長くなりました。いつもアンジュのホームページをクリックしてくださってありがとうございます。リセットしてあらたに歩むアンジュをどうぞよろしくお願いいたします。
3月というのは、わたしにとってとても意味深い月です。誕生月であることもありますが、学生時代は学年末。ひとつの学年をやり終えて、上の学年に上がる、ある意味で門出の月でもありました。アンジュがOPENしたのも3月。多分に日本的な感覚に支配されているのかもしれませんが、木々の芽の膨らむ様子に目をとめ、日々背丈を伸ばす花たちを見ていると、冬の間固くなっていた心と体も伸びやかになるのがわかります。この月をスタートと捉え、Middle of Sixtyとなった今、あらゆる意味で再起動の時であると実感しています。アンジュ・アカデミーも1年のカリキュラムを終え、4月からはまた数名の新入生を迎えて2年目がスタートいたします。早速90パーツに分けるタペストリーの制作や、「パリの街角クッション」、そして自由教材の「アジロ編みのバスケット」など夏まで盛りだくさんのレッスン。この1年でみなさん確実にスキルアップされました。そしてなにより以前のように毎日予測のつかない状態が解消されたことで、クラスに落ち着きをもたらせてくれました。スタッフともどもますます精進して、遠方からも通っていただけることに感謝しながら、より美しく夢のあるニットを編みあげる時間をご一緒したいと思います。
さて、我らがフッチーこと淵田先生が「山と音楽」というエッセイを(つむぎ出版から)出され、その刊行を記念して春めいた一日、山科の音羽山にある牛尾観音/法厳寺でチェロのミニ演奏会を開かれました。(アカデミーの開講式で突然、音が消えてしまった時のこと思い出しますね。)中学校の理科の先生として最初の赴任が山科、そして最後の勤務も山科だったので、子どもたちと身近なフィールドとして親しんでいた音羽山を選ばれたそうです。この日、かっての教え子たち(もう還暦の方も)や友人知人たちが、かなり古びた本堂でチェロの演奏に耳を傾けました。高齢のご住職のおはなしや檀家総代さんの司会など、フッチーマジックに取り込まれた温かく和やかな雰囲気に包まれ、腕前もかなり上達されていて招待客たちはみな温かい拍手を送ったのです。終演後、陽のあたるお座敷で振る舞われたよもぎ餅。庫裡にある大きな年代もののカマドを囲んで、檀家の奥さんたちが何やら賑やかだったのはお餅づくりだったのですね。椿の葉があしらわれ、できたての美味しさにほっこりしました。ここは清水寺の奥の院。そういえば清水さんにも音羽の滝がありますね。子どもの小さい頃には良く登った身近なお山のお寺が奈良時代からの歴史あるものとは。京都はそんな歴史遺産がいっぱいです。

再起動

4月4日(日) 春爛漫の京都御所

3月14日(日)
音羽山にて

フッチー・山のお寺の音楽会

よもぎ餅

カモラ先生のロシア語講座

終了記念

デジカメも
手のひらサイズ
から一眼レフに

ヘレンドのマグカップ
左手はfrom Ryubec

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