プラハ 2011・1・5

ウイーン 2011・1・6

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王宮からの坂道
マラーストラナ地区

冬の旅  X

そんな想いで街を歩くと、優しいまなざしの奥には幾多の悲しみが見えそうですし、快活に背筋を伸ばして歩く学生たちには、許せないものと闘った家族がいるに違いありません。
家族経営のペンション・ミュゼウム。アットホームな雰囲気の中で働く娘たちをサポートする私と同世代の母親は、きっと40数年前ヴアーツラフ広場の集会に出かけたことでしょう。ずっこけ三人組は、そんなプラハの街を謙虚に歩き、時折笑い話になりそうな思い出を作りながら名残惜しみつつモダンなプラハ駅からウイーンへと帰途につきました。
ベルリン発、プラハ15:54のウイーン行きは結構満員。またもや「指定券はいらない」と言われて、のんきにホームで待っていたから慌てました。でも結局三人の先客のいるクッシェットに座れ、無駄なものを勧めようとしなかった三つの駅の窓口さんに感謝です。特急の停車する大きな駅でひとりづつ降り、残ったひとりはベルリンの大学で学んでいるウイーンの女子大生。英語の先生になりたいと希望する健康的なウイーンっ子でした。
22:04ウイーン北駅着。地下鉄でラートハウス駅へ。暗い夜道を苦も無く歩けるのは、リンツへ発つ日、ホーフブルク宮殿からの帰り道、地図係りが「ラートハウス(市役所)って近い」というのを聞いて、下見がてら5日の到着が遅くなることを告げに行っていたから。市役所の裏、官庁街のような静かな地域にはウイーン大学もあり、ラートハウスパークホテルも元貴族の館。滞在は短いものでしたが、リッチでリーズナブル、心地よく交通の便も良い花丸のホテルでした。

プラハ二日目、この日はアールヌーヴオーの画家、アルフォンス・ミュシャや交響曲「わが祖国」であまりにも有名な作曲家スメタナのミュージアムなどを巡り歩きました。それにしても忘れられないのは1968年1月に始まった「プラハの春」という政治改革のことです。スターリン主義という共産主義体制に疑問をもつひとびとが、体制派のノボトニー第一書記を引き下ろし、改革派のドプチェクがその座につき、統制されていた言論の自由化など夢のような変革をなしとげました。
しかし、旧ソ連やハンガリーなどまわりの諸国は、改革の波が自国に及ぶことを危惧して同年8月には軍事介入。ヴアーツラフ広場はいかつい戦車に取り囲まれたのです。プラハのひとびとは、まだ若いソ連軍兵士に「あなたたちはなにも知らされていない。わたしたちはあなたの国を攻めるつもりはありません」と穏やかに語りかけ、戦車のいる風景にひるまず遮断されたラジオ局でもその抵抗は電波をつなぎ、状況を知らせ続けました。歴史的にもユーモアのセンスや高い文化度を持ち、真の社会主義を勝ち取るための抵抗に進んで参加した市民は、しかし尊い命をいくつも失いながら大群の包囲には力尽き、夢の春はやって来ませんでした。
当時チェコスロバキアの日本大使館に勤務していた書記官の書いた小説「プラハの春」には、現場にいた人しか書けないストーリーとなって緊迫した情勢が手に取るようにわかります。それから20余年、1989年11月、民主化を求める学生たちのデモが発端となり共産党政権が崩壊。「プラハの春」で積極的に改革を推進していた劇作家ヴァーツラフ・ハヴェルが大統領になりました。このビロード革命と呼ばれる無血革命は「プラハの春」以降、脈々と受け継がれてきた自由を求める市民たちの底力が失われていなかったことを物語っています。

プラハ中央郵便局
吹き抜けのロビー
二階と三階の壁は花の彫刻

ペンション・ミュゼウムの
モーニング・カフェ         中庭 右手は警察

・・・

ヴルタヴァ河岸から雪景色の王宮を見る

ドナウカナルから見たヴアッサー作の船着き場モニュメント
このお屋敷群の右手にクンストハウス。
空港行きのバスが並木道の右手から走ってくるなんて・・・

6日の午前中、数時間だけつかの間の散歩に出ます。市電の行き先に「エンゼルプラッツ(天使の広場)!」 これは終点まで行かねば。懐かしい風景を通りぬけ見知らぬ区域に・・。「れれっ」どこに天使がいるのでしょう。殺風景なロータリーです。なにか謂れがあるのでしょう。街の中心に向かって戻ります。シュテフアン寺院の尖塔が見えたところで下車。時間がタイトになってきたのでタクシー。最初の日に覗いたチロルの店に行くとお休み。どうりで街中が静かです。なんかの休日?大急ぎでチョコなどのお土産を買いホテルに戻ります。
学習充分のO先生がバスで空港へと提案。U2で二つ目下車。川沿い(ドナウカナル)にバスターミナル。走り出してまもなく右手に見憶えのある風景。「あっ、フンベルトヴアッサー!!」O先生と同時に言うと、ホソカワが即座に「おさらいですね」のひと言、ごもっとも。
15分で空港。来た時と打って変わってドバイまでは超満員。トランジットのあと帰りはまた寝る席を確保でき、偏西風に押されて8時間で1月7日夕刻関空に到着、楽しい旅でした。後日談としてホソカワはレッスンのときに「アサコ・トラベルドットコムはお勧めです」と言ってくれるし、O先生は「また同じコースでも、僕行くなあ」。
たった一週間の旅なのにまとめに長くかかり、お付き合いくださったみなさま、ありがとうございました。やはり旅は気分転換になります。リンツといったマイナーな街を訪ねたことで「天使のタペストリー」が生まれて正解、正解、大正解でしたね。      おわり

5日夜、旧市庁舎の塔に登ったときから、デジカメのバッテリーが切れてしまい
前回の夜景を含め☆印は撮影・ホソカワ