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初代赤ちゃんポスト

市内に戻った5人はサンロレンツォ市場の周りを見学。まずは「捨て子養育院」へ。
時は1419年、その後「祖国の父」と呼ばれたコジモ・デ・メディチの父、ジョバンニ・デ・ピッチは銀行業を営み、織物組合を所有していて、自分の費用で古いサン・ロレンツォ聖堂の改造にあたり、ローマで古代建築を研究してきた建築家・ブルネッレスキに委託。ルネッサンスでも最高の建築となった「罪なき者たちの病院、つまり捨て子養育院」を創ったのです。ここには熊本でニュースになった「赤ちゃんポスト」の名残りを、もう閉じられているけれど見ることができます。外観に並ぶロッピア工房作の陶板メダイヨンは、青地に白でおむつをした赤ん坊のレリーフ。ルネッサンスのフィレンツェで早くも福祉事業があったことを知らされます。路地を歩くと毛糸やさんがあったり(昼休み中)、ゆっくりできればどこもかも興味深い街なのです。アカデミア(美術学校)へ急ぎましょう。多分すごい行列です。案の定比較的狭い通りに人があふれ何時間待ちかと思うけれど、カードは別もので10分ほどで入れました。ミケランジェロのダビデ像は圧巻です。フランス・スペイン・イタリアがせめぎ合い、メディチの支配から奪還して共和国が再建された、内憂外患のフィレンツェを取り囲む情勢が熾烈を極める1501年、26歳のミケランジェロは羊毛組合と大聖堂造営局の要望を受け、契約して彫り始めたのが「ダビデ像」。当時フィレンツェの書記官を務めていたマキャベッリ(のちに君主論)は、傭兵を否定し、武器を持たず投石器のみで戦った古代のダビデのような兵士を求めていたこともあり、ミエランジェロはその思想に共鳴して、より力強い裸身のダビデを1503年に完成させたのです。今、アカデミアの館内で、高い天井からの自然光を受け、すっくと立つダビデは左(キリスト教では右が善であり、左が悪)を向き、相手にに立ち向かう姿で右手には石を掴むような動きで、勇気を持った戦う市民の姿でもあるのです。

初夏の旅 Ⅲ

ランチは「サン・ロレンツォ中央市場」。お昼から京都の錦市場とのコラボレーション行事予定。大きな市場は2階にレストランがあり、食材や飲み物をテークアウトしてイートインも可能です。1Fのコーナーで千本・今出川にある「天喜」さんと、寺町・今出川のイタリアン「カーサ・ビアンカ」のシェフが揚げ物を来場者に振る舞い、市長さんと錦市場の役員さんたちが、乾物などを配っています。

一番の大仕事である「タペストリーの展示」を終えた翌10日は、午前を自由行動としました。各自朝食のあと解散!午後は郊外に出かけます。そのバスが午前中も動いてくれるというので、たった5人と添乗のUさんだけで乗車してミケランジェロの丘に登ります。市内の南に位置し、フィレンツェを見渡せるので、本当は全員をご案内したかったのですが・・。バスを降りて展望テラスへ行くと、カップルがカメラを出して撮りあおうとしています。そこでお節介ながら撮ってあげると、そこへ〔I]さんが近くにいたのでしょう、突然見知らぬその異国の方と手話が始まりました。聴覚障害のある〔I〕さんは良く海外へも出かけられる好奇心の塊のような方ですが、とても嬉しそうです。手話は世界共通なのでしょうか。アメリカからツーリングで旅行中というお二人は、奥さんが手話の先生!!何か二人の間に響き合うものがあったと思われます。あとから国により多少異なる所作もあることを知りましたが、共通の言語となりえる「手話」に感動したひとときでした。

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サンロレンツォ市場 2F

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いよいよスイス

11日、専用バスでいよいよスイスのサンモリッツを目指します。旅の計画を立てるとき、フィレンツェとあともう一か所をどこにすべきか考えたのですが、前から行きたいと思っていたサンモリッツに決定。最初は列車で移動のつもりが、実際にプランを練り始めると乗り換えが2か所あり、バゲージを上げ下げするエネルギーを考慮して、バスに決めました。ミラノの近くから北イタリアを北上し、左手にコモ湖が見えてきます。コモ湖を眺めながらランチ休憩。その後もバスはグングン山道を登り、S字カーブを切りながら、徐々に万年雪をのせたアルプスらしい景色となりました。
     つづく       2015・8・21 asako

京都市長(右)と両市場関係者

アカデミアで入場を待つ

さあ「イタリアの小さな村」へGO。シエナ方面へ向かう高速や地道を走って1時間半、塔の村「サンジミニアーノ」着。トスカーナの田園風景が広がるのどかな村は、裕福さを競い合うように塔を建てたといい、もう数えるほどしか残っていませんが、小高い丘にある石畳の道を歩いて往時へ思いを馳せます。周辺の村同様、戦もあったけれど賢い村民は無理に戦わず、村の崩壊を避けることができたようです。それでわずかながら残った塔を見学に、多くの観光客が押し寄せています。雲が厚くなり雨もポツポツ。広場に面したホテルのテントに避難して小休止。レモンのジェラートが美味しい!!旅の始まりくらいから喉に異変を感じていて、少々しんどいながら、持参した小ものの撮影もいたします。雨もひどくならず、みなさんお土産探しにアタフタ。トスカーナのワインを買い込む方もいました。私は忘れてきた帽子をひとつ。ようやく必需品に出会えました。バスに乗ってフィレンツェへ戻る途中、ゴロゴロっと雷鳴がして夕立。村を歩いている途中でなくて幸いでした。東京からご参加のAさんだけ、塩野七生さんに傾倒しているので、「フィレンツェを貴婦人のように歩きたい」との希望で、オプションには参加されなかったのですが、後日のお便りに、「まるで16世紀の小間使いのように歩きまわりました」とあり、思わず吹き出しました。

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城門に張り出されたお祭りのポスター

持参のテディベアをパチリ

塔の村 サンジミニアーノ

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レモンのジェラート

ホテルでひと息ついてから、この夜は全員でディナーへ。前回泊まっていたホテルの裏向かいに偶然見つけた「トラットリア armand」。雰囲気と美味とで相変わらず大人気のようです。みんなで楽しく盛り上がり、この前もサポートしてくださった感じ良い日本人のウェーターとも親交を重ね、ほろ酔い加減で散策しながら歩いてホテルへ戻りました。

トスカーナの田園風景

ダビデ像

京都を代表するシェフたち

捨て子養育院

ミケランジェロの丘からフィレンツェ市内を望む

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3枚とも

手話で交流

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