6月14日(火) ベルリン・テーゲル空港。ホテルからの僅かな距離が、この旅の長い時間ドライバーとしてご一緒したライナーさんとのお別れです。元は肥満体だったけど、日本人の奥さんの食事管理でスマートになったと、ガイドのY氏が言われてました。旅の時点であと2か月で定年・・でしたから、もう長年の計画をご夫妻でのんびりと実行されていることでしょう。テーゲル空港は首都の玄関としては小ぶりのものです。

ここからフィンランドのヘルシンキに飛びます。プラハとドイツを巡る旅の航空会社を選ぶのは、寄港地としてのポイントでもあります。今回は皆さんをヘルシンキ郊外のフィスカルス村へもご案内したく、フインエアーをチョイス。お昼過ぎに飛び立ち、1時間の時差で15時着。ベルリンは16時。ヘルシンキも空港から30分ほどで市内です。ホテルは中央駅前の広場に面していてアクセス抜群。
この夜は全員でディナー。夕刻ロビーに集まって旧市街を少し歩きます。以前泊まったことのある「ソコス・トルニホテル」の屋上は外せない展望ですから、まずはエレベーターで最上階(10F?)へ。更に狭い螺旋階段を上がると・・、バルト海も望める360度の見晴らしで絶景!もう3回目となりますが、展望階のカフェもリニューアルし、人気度が増しているようで、限られた空間に人が溢れています。6月では日暮は遅く、サンセットを眺める時間でないのが残念。でも、お洒落なロビーと落ち着きのある5つ星ホテルのたたずまいは、雰囲気だけでも必見でしょう。おまけにディナーは東向かいにある「KARL JOHAN」。ここも前回セビリアの帰りに滞在した折に見つけました。展望階に上がる前に立ち寄り予約をしましたが、急に13名がOKかと不安なものの、この日は他にカップルがひと組のみ、貸切状態という幸運!
そろそろ皆さん旅も終盤を迎え、メンバーの方々と打ち解けてられるのですが、初めて参加の方もいますので、ラベルシートにお名前を書いて全員の胸に貼らせていただきました。長いテーブルに向かいあって、これでお名前をきちんと確認しながら、和気あいあいと美味しい夜がふけてゆきました。
添乗員のU氏と共に皆さんはホテルへ戻られましたが、O先生とアシスタントとは食後の散歩がてら旧市街の裏道をブラブラしながら、持参したセーターなどの写真も撮ります。やはりガレージの扉ひとつも異国です。坂道を歩いていると良い香り。ライラックが満開!
港への大通りエスプラナーデは、中央に幅広い緑地帯が公園となりカフエやレストランもあり、通り沿いは、白夜の宵を楽しむ人々がウインドーショッピングなどしながらそぞろ歩いています。

1986年チェルノブイル原発事故のあった年の夏、パリのカトリーヌ邸と山科の家を1か月間エクスチェンジ(交換)しようとの提案を受けて、まだ10歳の娘と4歳の息子を連れ、夫も突然他界する6年前のことで、元気に4人でこの通りを歩いて港まで散歩をしたことがあります。
ストックホルムからシリヤラインで1泊の船旅をし、ヘルシンキから列車で古都トゥールクまで行って、またストクホルムへ今度はバイキングラインで戻り、列車でスエーデンの南マルメまで。そこからバスで最南端のニルスの村で泊まり、その後まだ海上を行き交うことが出来る橋などないころのこと、フェリーでデンマークへ渡って、チボリ公園で遊んだり、アンデルセンの生まれたオーデンセにも行きました。
一度パリへ戻り、パリ郊外マルヌ川沿いのお洒落な一軒家の芝生の庭で、見上げるようなポプラの梢越しに、オルリー空港へ下りていく機影を眺めながら食事をしたり、スイスやオーストリアへ出かけたり、帰路はロンドン経由とし、右ハンドルですからレンタカーで田舎をドライブ。マナーハウス(領主の館)にも泊まりました。
30年前のわが家の特別な夏がエスプラナーデでよみがえり、脇道にそれましたが、子どもたちと過ごした忘れられない想い出です。
ヘルシンキへは通算5回目!折々の情景は大切な心のアルバムに収められているのです。

さあフィスカルス村へ到着!ライラックツアーから3回目の訪問です。最初は何かの雑誌で見て手探りでした。中央駅から列車で最寄りの駅まで来て、たったひとつの手段であるタクシーを駅員さんに頼み、村へ着いた時に帰りの時刻を伝えて迎えにきてもらいました。その頃の、フイスカルスという刃物メーカーが、ヘルシンキ市内へ移って以来の廃村を、アーティストたちがポツリ、ポツリと移住し初めていたころが懐かしい。
誰もが好ましいと思うロケーションですから、人気が出るのは必然でしょう。しかしギャラリーやショップが増え、観光客が絶え間なく訪れるようになると、静けさに価値のあったものが失われてしまうのですね。あちこちで撮影をした場所に行ってみても、前回は冬だったこともあり、今回は撮ろうというイメージが湧きません。でも、コカリナ奏者のIさんを木陰の切り株を舞台に見立てたミニコンサートは良かったです。Iさんは初めてのフィスカルス村ですし、とても気に入って「今度は泊まりたい」と言ってくれたので嬉しかった。元水車小屋のレストランもすこしリニューアルして満席!村を流れてきた川の流れが落ち込む音が爽やか!やっぱり変化は心を騒がせるけれど、皆さんとフインランドの自然の中で、のんびり初夏のひとときを過ごせて良かった!

ルピナスなどの野の花

15日(水)はバスでフイスカルスへ向かいます。その前にここも外せないシベリウス公園へ。市内の外れにある湖畔の公園にフインランディアなどの作曲家・シベリウスのモニュメントがあります。音を表現したというパイプのオブジェは女性彫刻家のものとか。ここもいつもは市民が散歩やジョギングをする姿を見かけるほどだったのに、今回は観光バスが並び、中国系と見られる方たちが人なつっこいユリカモメと共に賑やかです。
私たちは一路郊外へ。およそ1時間半のドライブですから、ここでプラハのDJガイドさんの影響ではありませんが、マイクを握って今回の旅へのさまざまな思いを伝えたいと、U氏の承諾を得て語らせていただきました。もちろんガイドさん(なんと前回と同じ女性ガイドのSさん)のお話しが終わってルピナスの花畑を眺めながらです。旅のプランを考えた過程を中心に、初めて参加されたアンジュの生徒ではない3人の方をご紹介することがメインのものでした。
ブログで「プラハの旅」へのご参加を募ったことで、思いがけなく広島・三原のOさんが「参加しても良いですか?」とのこと。もちろんどうぞ!以前まだショップであったころから、何度か山科へも来てくださっていた方です。いつもブログを見ていて、いつか一緒に・・と考えていらしたとか。そして出発間際に中学時代からのご友人Fさんも参加決定!お二人は関空の空港ホテルに前泊されました。
もうお一人は醍醐のIさんのママ友・Iさん。昨年、文化博物館の大展示会へ観に来てくださって、アンケートに回答してくださり、回答者1700名の内30名の方に抽選でカレンダーを送りました。見ず知らずの方ばかりだったのですが、そのうち「先生!友人にカレンダーが当たりました!」と良く聞くようになり、Iさんもそのおひとりでした。その上、Iさんのところへお花見のころ訪ねてきた東京のお友達の中に、カレンダーを見て「わあ!こんなの編みたい!」と言われた方が5月から東京クラスへ入られたTさんです。
IさんはアンジュのIさんから旅のことを聞いて参加を希望されました。ご縁って不思議です。アンジュもご縁を積み重ねて歩いて来ましたが、年を重ねてからのご縁はより貴重なものです。ざっとこのようなお話しをして私のDJは終わりました。・・と思っていたら、Oさんがちょっといいですか?とマイクを握り、アンジュとのきっかけや、この旅に参加出来てよかったことなど話されるのです。思いがけず感無量。勝手な企画で皆さんを振り回しているのではないか、と危ぶむ思いもありましたから、心底ほっと安堵いたしました。もちろん、みなさんツアーの内容を納得されての参加で、いつも笑顔で楽しそうなことは承知していたのですが、言葉にして語っていただけるなんて思いもよらぬことでした。Oさんのお心づかいに感謝です。

アラビアの外観は変わりなく・・

猛暑・炎暑どれだけ激しい言葉でも平然と居座る夏、お変わり
ありませんか?初夏の旅が残暑の時期にまで長引いたこと
申し訳ありません。夏期補習をしながら秋の準備をしています。
とにかく元気でこの暑さを乗り切りましょう。また・・。
2016/8/13   asako

☆8/16追加訂正箇所あり。

                    ・・・・

ヘルシンキ中央駅で 旅立つ一家

雨の離陸

16日(木)いよいよ最終日、午後2時に空港へ向かうまで自由に過ごします。午前中はトラムに乗って港付近でマーケットをのぞいたりニットの撮影をしたり・・。ちょうどホテルに戻った途端に雨が降り始め、ホテルの最上階にあるレストランでランチにしてゆっくり過ごしました。

旅を無事に終え、怪我や病気になるひともいなく、スリや置き引きにも合わず、良い旅でした。回を重ねた街もありましたが、初めての所もあり、またあらためて訪ねてみたい所も夢に加わりました。完璧でないからこそ次があるのだと思います。しかしこの旅でも見知らぬことの多くから見聞を広めることが出来ました。アンジュ・トラベルの企画にご賛同をいただき、楽し日々をご一緒した皆さんと、6月17日(金)関空でお別れしたのです。

                                          {完}

フィスカルス村のギャラリー

夏場は頭が黒いユリカモメ


ソコス・トルニホテルの展望塔

夏休みの川べり

朝市には野菜やベリーも・・

初夏のアンジュツアー Ⅵ

フィンランド・ヘルシンキ

フェルトの店の陽気なご夫婦

市内に戻り、行きたい希望をガイドさんに伝えておいたので、効率良く回ってくれるそうです。まずは岩を繰り抜いて建設した「テンペリ・アウキオ教会」へ。午後は2時半オープンとのことで少し待ちます。ここも中国語が飛び交って、世界中が観光的にも変化を与えていると実感しました。岩の壁と全円ガラスの窓と、胴版の屋根。ヘルシンキが港町であることを、窓を横切るカモメが教えてくれます。音響の良い教会内にピアノの生演奏。しばし信徒席に座って休息。
次はガイドさんに引っ張られて最近オープンしたという「ムーミングッズ」店。ここで皆さんがあれこれ瀑買いされるのを眺めながら、そういえばレッスンのティータイムに必需品のペーパーナプキンを私も瀑買いしていました。
次はいよいよ「マリメッコ」。地下鉄に乗っても駅からしばらく歩かねばならぬ辺鄙なところにあるので、バスで連れて行ってもらえるのは楽です。本社兼アウトレットは、ガイドさん曰く「るるぶに載っていて日本人が多い」とのこと。別に「るるぶ」を見て来ているわけでもないのだけど・・。ここでも皆さん瀑買い!めったに来られるところではないので心おきなくショッピングして帰りましょう。
その次は「アラビア」。陶器のアラビアは一番最初にモスクワまわりのアエロフロートでヘルシンキに着いたとき訪ねた懐かしいところです。工場を見学し、窓辺にグリーンを這わせた絵付け師のテーブルまわりに漂う静謐さや、最上階にある大御所カイピ・アイネンさんのアトリエを訪問するなど、初めての北欧とアーティストに会えた感動を、今でも忘れることは出来ません。しかし、工場の敷地には「FISKARS」(ここへ移転していたのですね)の社名の建物が・・。生産部門はタイなどへ移ったというガイドさんの説明に、およそ35年の流れた時間を感じたのです。
アウトレットでフインランド土産を物色しホテルへ戻り、あとは自由行動。私たちは1級建築士のMさんが「カンピ礼拝堂があるのよね」というのを聞いて行ってみます。ホテルからも遠くない、ただ今改装中のカンピショッピングセンターの一角に、木調の逆円錐系の建造物。「自由にお入りください」と書かれているのでお邪魔します。ルター派の信徒とヘルシンキ市の健康・社会福祉部による共同運営という1年中OPENのシンプルな集いの場!見たことの無い穏やかな空間です。Mさん、何かで見たことを思い出してくれてありがとう!

薄暮の甘く香るライラック

マリメッコのアウトレット

村の家

シベリウス公園のモニュメント

レストラン・カール・ヨハンのメインデイシュ

ソコス・バークナホテルのロビー

カンピ礼拝堂

高さ11.5m
外壁はトウヒ
ナノテク使用の
特殊塗料でコーティング

港のシリアライン

テンペリアウキオ教会

丸い切り株が舞台のミニコンサー

フィスカルス村の時計台

ブティックの裏手

ニョロのいる
ムーミンショップの前で