1991年12月に夫が急逝。呆然としながらしばらくした頃、カトリーヌさんへ電話をするものの留守なのでFAXを送ると、数日後に電話がかかり「旅に出ていて今見たけれど、アサコ、大丈夫?」。それまで涙って意外と出ないのだと気丈にしていたのに、カトリーヌさんの声を聞いた途端、涙が止まらなくなりました。
誰もができないとても貴重な経験をさせてもらって、子どもたちは幼くて記憶も定かではないものの、一緒にいるということに意味があると決行した旅です。かけがえのない家族の想い出づくりとなったひと夏でしたから、それは夫との想い出の大切なひとつでもあるのです。
絵本作家の里美さんとはその夏に初めて出会いました。故郷大垣市にご縁のある方から紹介されて、息子を連れて可愛いいアパルトマンへお邪魔しました。文通を重ね、パリへ行くと会ったりしていつの間にかカトリーヌさんを紹介などし、パリの仲間が増えてゆきました。

2009年、カトリーヌさんも同じころショップをクローズ。アンジュはアカデミーとなってレッスンクラスのみとなりましたが、お店を背負わなくてよくなったカトリーヌさんは精力的に世界各地に出かけ、興味のある藍染や貴重な手仕事の写真を撮り、文章も詳細につづり分厚い本を作り始めます。彼女も元グラフィックデザイナーでパッチワークを学びにアメリカで暮らしたこともあり、私のつたない英語に応えてくれて、出会ったころに「アサコは遠い東の端に住む大切な友」と言ってくれました。

1冊目のベトナムの取材には里美さんも同行し、民族衣装の繊細なイラストで手助け。私も京都・寺町にある藍染専門店で古い足袋など集めて送り、協力者に名を連ねたこともあります。
そういえばお店をクローズする数年前には、マルヌ川沿いの家からバスチーユ広場に近いアパルトマンの最上階、グルニエと呼ばれる屋根裏部屋に引越し。エレベーターもなく、古びた螺旋階段を5階まで上がった家の中はさすがに洒落ていて、リビングの西側に開けたテラスには緑が溢れ、いつだか頼まれて機内荷物で持って行った大きな熊手が、前の家から運ばれていました。

そのテラスからはバスチーユ広場にあるオベリスクのてっぺんにある金色の天使像が向かいのアパルトマンの屋根越しに見えましたし、「アサコ!」と呼ばれてベッドルームの天窓から覗くと中庭の寄り添うずっと向こうに「あれがケンゾー(ファッションデザイナー・高田賢三)の家」と教えてくれたりしました。
マレ地区にあるお店まで自転車や徒歩圏内という魅力はかけがえのないものでした。しかし終の棲家は15区。ノミの市のあるポルト・ド・ヴァンヴからトラムで2駅ほど市内寄りにあり、古色蒼然としたアパルトマンの1階フロア、4部屋つづきの部屋に面して細長いタイル敷きの庭があり、周りを緑が取り囲んでいます。どの家も緑が一緒、そしてIT関係のお仕事をリタイアされた、いつも優しい夫のイブさんがいて、美味しい手料理などいただけて、それはカトリーヌさんが伸び伸びとお仕事できる秘訣のひとつではないかと確信しています。

そのカトリーヌさんの『INDIGO』が日本で翻訳され『世界のインデイゴ染め』となって昨年「パイ インターナショナル」から出版されました。いつも分厚い美術書を航空便で送ってくれるカトリーヌさん。でもこの本はアマゾンで求めました。¥4.500 ぜひご一読ください。
もう出会ってから38年、グラフィックを学んだという共通点はあるけれど、印刷原稿などのデザインも自前でしてしまう私たち、パワフルさが似ている・・・と、里美さんは言うのですが、里美さんともども夢を追いかけて、みんなで生涯現役でありたいものです。、

30代前半でヨーロッパに出かけるようになり、さほどブランドものに興味があったわけでもないのですが、個人的な旅や仕事がらみの旅でも必ずパリへ行くことで、徐々に愛着が湧いてきました。
そのころの愛読書は集英社から季刊誌ではじまった「セゾン・ド・ノンノ」。グラビアページで見つけた「ア・ラ・ボンヌ・ルノメ」へひとりで訪ねたときのことを思い出します。メトロの「サン・ポール」駅からシシール通りを探し歩き、深いえんじ色にペイントされたシックなパッチワークが飾られたウィンドー、フローリングの落ち着いたお店のドアをそっと開けました。
モノトーンの格子柄や花柄で作られた大きなバッグやペザント(農民)風ワンピースを買い求めたら、オーナーの方が(奥のアトリエにもひとりいて仕事中)ここにサインをと、アドレス帳を差し出されます。雑誌の影響でしょうか、日本の方もちらほら、中には有名なパッチワーク作家の名前もありました。1982年のことです。その年の暮れに思いがけないクリスマスカードがパリから届きます。茶系のリボンが三種、幅広いものから細いものまでを重ねて「NOEL」と書かれたシンプルなものながら、忘れずに送ってくれたことに感動しました。
それからパリへ出かけるたびにマレ地区に立ち寄り、そのうちお店は角を曲がって「Vieille-du-temple」通りに移り、北と東に大きなウィンドウが並ぶベージュ色のよりシックで大きななお店に変身!ソファや椅子などの家具も手掛け、重量感のあるコートやお洒落なバッグも充実して、目を見張る活躍です。
あるときカウンターで支払をしていると、「今度フランスフェアで東京に行くの」。「そう、京都にもどうぞ!」。軽い気もちで言ったらカトリーヌさんと、相棒のエリザベートさんが二人で京都にやって来ました。知人の紹介で祇園の町屋に宿(いまでこそ民泊の走り)をお願いし、秋でしたから時代祭りも見学、山科のアンジュへも来ていただきました。1985年のことで、まだ今のアトリエの前、改築したての三階建ての家の時です。

長梅雨とコロナに見舞われた夏です。京都では『葵祭』につづいて『祇園祭』も神事のみとなり、厳かに、ひそやかに執り行われはしましたが、なんとも寂しい夏となっています。
7月30日には八坂神社境内の「疫神社」において、祇園祭りを納める最後の「夏越祭」が行われ、例年のような人出もなく、短い列に並んで大きな茅の輪をくぐり、お参りのあとには一本の茅を授かりました。ぐるっと輪にして厄除けに飾っています。疫病よけとして始まった祇園祭が巡行を実行できないとは前代未聞。それほどの脅威にはしっかりと対策をしながら、猛暑にも打ち勝ちたいと思っているところです。
さて、大変長らくご無沙汰いたしました。「まさかコロナ?」と思われた方もいることでしょう。実はこの秋に出版予定の本に掛かりきりになっていました。3月のレッスン縮小から4・5月は休講とさせていただき、アトリエ仕事は皆無ではありませんでしたが、ステイホ-ムの間中、製図などの細かい仕事に専念できたことは幸いでした。ようやく第二原稿の校正へと進み、9月23日刊行予定ですので、また近づきましたらご案内いたします。どうぞご期待ください。

モンパルナスにあった里美さんのアパルトマン。
ケーキを焼いて、スイカを用意していてくれました。

少数民族の繊細なイラストはSATOMI ICHIKAWA
里美さんとカトリーヌさん、二人の写真はイブさん撮影

ひと夏の想い出

二人でスイスやドイツへ
イブさん撮影 リヨン駅にて

2020年夏・アンジュの庭で

シャンピニーのカトリーヌ邸

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クレロデンドルム・ピンクダイアモンド
コロナ禍の日々、
庭には濃いピンクの花


リュクサンブール公園にて
    里美さん撮影

その年の暮れ、カトリーヌさんから思いがけない提案が手紙であり「アサコ、EXCHENGEしない?」ええっ、エクスチェンジって何かしら。そのころから欧米では始まっていた家を交換して暮らし合うことらしいと判明。同居していた母は「東京の姉のところ行くから行ってらっしゃい」と、言ってくれたので翌1986年の夏に実行となりました。チェルノブイリ原発事故の年です。
まずは私と当時4歳の息子とで、一足早くパリへ。そのころカトリーヌさん一家はセーヌ川の支流マルヌ川沿いの一軒家に住んでいました。さっそく付近の病院や郵便局・スーパーなどを案内してもらい、数日して彼らは日本へ。京都の家の周辺案内は夫が担当。夫が旅立つときには、わが家の車で京都駅まで送ってもらい、ご主人のイブさんは自力で帰られたそうで、それからもあちこちドライヴされるなど驚異の順応力です。
夫は東京で待っていた10歳の娘と成田空港から空路スウェーデンのストックホルムへ。この間、まだご一家がいるうちに息子と二人でローザンヌからスイスへ入り、マッターホルンの見えるツェルマットやドイツのミュンヘン・ローテンブルグ・フュッセン、スイスのベルンを旅し、パリ市内にあったエリザベートさんの家にも泊めてもらった後、、列車でデンマーク経由、ストックホルムに向かっています。
半月ぶりに出会った一家はストックホルムの野外ミュージアムでランチ。おばあちゃんの作ってくれた海苔を巻いたおにぎりを美味しそうにほほばる息子!その夜シリヤラインでフィンランドのヘルシンキへ白夜の船旅。
長旅なので端折りますがデンマークを経てパリに戻り、カトリーヌ邸でくつろぎます。丈高い木立と芝に覆われた庭の奥のキュートな二階家。カトリーヌさんのアトリエも二人の女の子の可愛い部屋も浴室の設えも全てお洒落な家での夏暮らしなのに、私たちはじっとしていられなく、列車でスイスにも行き、グリンデルワルドの山小屋で泊まったり充実した日々を過ごします。
8月下旬、日本から帰って来た一家を迎え、そのあと空港へ行こうとしたら、ちょっと待ってて、今送って行くから・・・と思いがけない言葉。疲れていると思うのにシャワーを浴びた一家はまたシャルルドゴール空港へ行くまでに遠回りして、小さなお城のある村ででランチまで一緒にしてくれたのです。私たちはイギリスの旅も続くけれど、別れるときにはハグし合って涙がこぼれました。
カトリーヌさんのお店はその後も発展し、地下にあったアトリエを、石畳の路地の向かいにあるアパルトマンの二階に移し、従業員も増えて益々繁栄。「メゾン・ド・アンジュ」というショップ時代には、行く度にお洒落なBAGを仕入れて帰りましたので、いまでも独特の雰囲気を醸し出しているBAGを、大切に持って来られる方々もいて、私も永遠に愛用できる素敵な布BAGたちです。

二階の
子ども部屋

アイガー北壁を見上げる
グリンデルワルドにて

パリ15区のカトリーヌ邸

もう立派な民俗学者
カトリーヌ・ルグランの著書たち

2019年5月

photo by SATOM I

お盆が近いせいでもないのですが、なんだかしんみりとしてしまいました。五山の送り火もポツンと点火とのこと。
どこまで寂しい夏かと残念。猛暑でもあります。くれぐれもご自愛ください。また秋に。  asako 2020・8・8