穏やかな京都が台風の災禍に出会い、荒れた九月が去りました。嵐山ばかりがクローズアップされましたが、市内のあちこちで川が氾濫し、山科でも床下浸水が多発。わがアンジュは幸いにもアプローチの2mほど冠水しただけですみました。でも最大の深さ3cmの泥水を処理するだけでも大変でしたから、これまでの被災地とりわけ津波の被害とはいかばかりかと、ようやくその万分の一のお気もちが分かった気がしています。さて、あれこれと気ぜわしく過ごしていて、ひと月以上も更新が叶わずお許しください。もう秋の到来です。

9月の初めにフィレンツェとアムステルダム3泊ずつの旅に出かけてきました。京都との姉妹都市・フィレンツェの取材ががメインで、KLM航空を利用したので久しぶりのアムスにも立ち寄ったというわけです。9月2日(月)pm3時にアムステルダム・スキポール空港着。アリタリア航空でフィレンツェへ乗り継ぐまで時間があるので近くの街までバスで向かいます。インフォメーションでアドバイスをもらったのは「ハーレム」。あのニューヨークのハーレムの語源となった街です。300番のバスに乗り、観光客など誰もいない路線バスは郊外の田園風景をひた走り40分ほどでハーレム駅着。運河もありアムスの小型のようなたたずまい。日本は猛暑でしたが、もう初秋の雰囲気で小粋な街をそぞろ歩きました。長旅の疲れも癒され再び空港に戻ると、アリタリアはdelay!なんと出発が遅くなります。フィレンツェのホテルを予約するとき、空港着が10:30であることを連絡しておいたので良かったのですが、それにしても遅れに遅れてam 1:30!バタングーとベッドへ直行しました。今回の旅友はO夫妻。あの京都検定1級の夫とその妻、長いお付き合いで弟夫婦のような気楽さです。
3日(火)いよいよフィレンツェ探検へ。まずは駅にも近い「サンタマリア・ノベッラ教会」。壁画と天井のフレスコ画が見事です。そこで72時間パスを求め、以後特別な拝観を除いてミュージアムやバスのチケットをそのたびに買わずにすませることができました。次はドゥオーモ(大聖堂)。行列に驚嘆!パスを見せたら「あっち」と指し示すけれど、「行列に並べ」とこの時は誤解してあきらめ、おとなりのベッキォ宮へ。メジチ家の財力に圧倒される宮殿です。塔にもパスで登れるので暑い午後、汗をしたたらせて塔屋へ。360度のロケーション。ドゥオーモも間近に大きく迫ります。お隣のウフィツィ美術館へパスのおかげで優先入場。これまで沢山の方から「ウフィツィはいい」と聞いていたので、とっても期待して恐る恐る入って観れば、なんということでしょう。ボッチチェリやミケランジェロ、ダビンチ、ラファエロの名画が手の届くところにあるのはもちろん、延々とつづく部屋という部屋の天井に描かれている、それぞれ趣きの異なる更紗絵のような花柄の精密さにあんぐりと口を開けて見上げるばかり。本当にメジチ家というのはなんという途方もない一族だったことか。メディカル(薬)商で財をなした上に芸術に惜しげも無く注いだ力を後世に生きる私たちは感謝せねばなりません。感動です。ベッキオ宮からウフィツィ、そしてベッキオ橋を渡りピッティ宮まで雨に濡れずに行きき出来る秘密?の回廊もさすがです。夕暮れといってもまだ白夜の季節、7時近くにミケランジェロの丘までバスで駈けあがり、フィレンツェの街の全貌を眺めます。清流とはいえないアルノ川の両岸に広がるトスカーナ地方の中心地。レンガの屋根がつづき、教会の尖塔とドゥオーモの丸い大屋根がひときわ目立ち、まわりを囲む丘には糸杉。イタリアらしい光景の中で夕陽が沈みゆく時を過ごしました。さてディナー。繁華街からすこし離れたホテルへいったん戻ったので通りの向かいに見つけたトラッタリア「ARMANDO」へ。なんといっても心惹かれたのは、歩道に出されたテーブルの上に籐籠いっぱい香草が飾られていたことと、ドアの白いカットクロスのカーテン。入ってみれば奥まで細長い店内は各テーブルにキャンドルが灯り、なんと日本人のウエートレス。お洒落で美味しいひとときとなりました。「るるぶ」に掲載されているとのことで、若いツーリストも多く、街からはなれた隠れ家的な存在のようでした。 

2013・10・2 つづく

魅せられた旅 T

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

トラットリア・アルマンド
左上のホテルに3泊。アルマンドは静かな通りの向かい側にありました。

ウフィツィ美術館

アルノ川とベッキオ橋

サンタマリア・ノベッラ教会

ハーレムの夕暮れどき

ジェラート屋のかわいい女の子

市場の花屋

ハーレムへ向かうバスから・・屋根の上に草原?

オランダ・ハーレム

チーズ屋さん

柱に映るステンドグラス

フィレンツェの家並み

イタリア・フィレンツェ

・戻る