シンシンと音もなく降りしきる様子を2階のリビングの窓から眺めていると、東に連なる音羽山もすぐに見えなくなって真っ白。すると、アプローチの栴檀(センダン)の枯れ木に鳥の群れ。もう葉は落ち切って残っているのは、枝の先端に花火のように分かれた小枝の先の丸い実ばかり。その直径2センチくらいのベージュの実をついばみに凡そ1ダース。尾が長くないのでヒヨドリではなく鶫(ツグミ)のようです。その群れがせっせとついばんでは飛び去るのを繰り返し、翌朝見たらきれいさっぱり実なしの木になっていました。全部を食べきったわけでもなく、雪が融けると随分落ちていましたから、もう落下寸前の実が羽ばたきや振動で落ちてしまったのでしょう。その見上げるような栴檀も、いつごろか鳥が運んでくれた実生なのです。

さて、2日には雪も止んでいたので京阪電車に乗って山を越え、三井寺へ初詣に行きました。実は今年早々にデザインに取り掛かる「宙の天使たち Ⅳ」は、念願の曼荼羅図にしたいと思い、そこに「和算画」を取り入れたいのです。以前TVで三井寺に画があると知り、いつか訪れたいと考えていました。久しぶりに浜大津方面へ向います。山科は東・北・西が山に囲まれていて、都会でありながらローカルなところです。逢坂山のトンネルを抜けると琵琶湖を従えた大津市。ものの10分でリゾート気分になれる距離感がたまりません。浜大津で石坂(石山と坂本を結ぶ)線に乗り換えてひと駅「三井寺」下車。山科へ流れる疎水脇を歩いて山裾から境内へ入ります。受付のおじいさんは「和算画」のことを尋ねると嬉しそうに教えてくれましたが、急な階段を登ってたどり着いた「観音堂」のその絵は堂内の明かりをつけてもらっても?全く暗くてはっきりしません。文政の年号があるので、それほど古い貴重なものとわかるけど・・。日本で生まれた幾何学の原点は、ここ数年アジアの若者たちも新しい和算に挑戦してコンテストもあるほど。本当に「政治以外 誇れるものが 山いっぱい」と詠みたくなる麻ェモンです。この日は開いていないという釈迦堂にも「和算画」があるというので、また後日再来しましょう。観音堂からの眺めはさすが登っただけある素晴らしさ。雪景色の琵琶湖というのも、やはり出かけなければ見ることが出来ないものでした。時刻でもないのに鐘が鳴り、ここはお賽銭を払って希望すれば鐘を突くことが出来るようです。俳句も詠みました「雪階段 踏みしめて聴く 三井の鐘」。その2日夜に大雪が降って、京都は21cmの積雪。二日続きで雪かきとトネリコなど折れたかと思うほどのしなり方ですから、傘をさして幹を揺らして雪を跳ね上げるなど頃合いのストレッチとなりました。
ここでも一句「雪のせて 白いクッション 庭の椅子」。お粗末ながら今年は折々に句作に励みます。

元旦のお昼前から雪が降り始め、前日までの年の瀬の喧騒も消えて、朝は青空で清々しい新年と思っていたのに、やはり波乱万丈の一年になるのかと、訝りながらの幕開けとなりました。
おめでとうございます。2015年がスタートです!

1月1日  アンジュの門扉

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雪の日の窓辺

木もれび草
ミセバヤなど・・

みなさま今年も気まぐれなお便りにお付き合いください。
健康に気をつけてそろりそろりとまいりましょう。    asako  2015・1・6

三井寺 金堂

観音堂から比叡山を望む

ツグミがやって来た栴檀

雪の三井寺