小学生の思い出は弟とお揃いのコートでした。深みのあるエメラルドグリーンのウール地に、弟は黒いビロードがアクセントとなり、私のはタータンチェック。父に連れられ日曜日の銀座から築地に近い「東劇」へデイズニー映画を観に行くときにも多分着ていたことと思います。中学生になると近くに開店した「リネア洋装店」、ドレメかどこか洋裁学校出身のもの静かなマダムが、イギリスやフランスの生地を愛おしそう見せてくれていたのも思い出の情景です。舶来の生成りにオレンジや赤やグリーンなどで花柄がプリントされたワンピースを着て、家族で群馬・宝川温泉に避暑に出かけました。母が着ていた優しいグレー地に麦の穂柄が織り込まれた生地の手触りも思い出せます。私が母から編みものを教えてもらった頃のこと。その後世の中は高度成長時代に突入し、量産のシステムに飲み込まれてゆきます。
20代の初め頃、忘れがたい光景があります。夕暮れ時に都電で神谷町から六本木へ向かう狸穴(まみあな)の郵政省(当時)あたりへ差し掛かると、西側の森の木立に囲まれて「小公女」と書かれた小さな子ども服のお店がありました。暗がりに控えめな照明が、トラディショナルな組み合わせの二体を浮かび上がらせています。白いブラウスにチェックのスカート、ジャケットは紺。もう一つはワンピース?後年、友人たちに「狸穴にあった小公女」を知ってる?と聞いても、知っている人は無く、夢か幻だったのかと自らの記憶を疑ってしまうほどでしたが、手仕事の素晴らしさを静かに訴える、店名とともに印象的なウインドーでした。
想い出
2月に封切りとなった「繕い裁つ人」を観ました。仕立て屋さんの二代目のお話ですが、舞台が神戸ということもあり、タイトルと共に何か親近感の湧く映画でした。ヒロインは現代に生きる女性であるのに、祖母の使っていた足踏みミシンに固執して、頑固なまでに古いスタイルを守り抜くという内容です。
映画を観ているうちに、子どものころが懐かしく想い出されました。幼いときの洋服は、母が手作りするか、近所の方が縫ってくれるものに限られていたように思います。幼稚園のクリスマス会に母が何処かへ頼んで作ってもらったのは赤いワンピース。今でいうウールジョーゼットの落ち着いた赤色を忘れもしません。白いトロンとした素材で重ね衿とカフスが付いていて、白くて細かいレースが縁に挟まれていました。左右見頃の中央にプリーツがたたまれ、ウエストのあたりまで白糸でクロスステッチが施されています。白いリボンも結ばれて今から思うと、とてもお洒落なものだったのでしょう。しかし幼い私には、クロスが〇と☓のバツに思えることで何だか酷く恥ずかしく感じていたのです。
宝川温泉にて母と