ペルガモン美術館はY氏のお陰で行列に並ばずに入館。セキュリティーも厳しく、予備知識も無いまま2階へ上がると、エジプトやギリシャからの略奪品に圧倒!音声ガイダンスに耳を傾けながら収蔵品を観てまわります。ロンドンのロイヤル・アルバートミュージアムや、パリのルーブル美術館、コンコルド広場のオベリスクなど観ていて、戦で奪って来た国々への想いがつのりましたが、ここ数年、ISの蛮行には憤りを覚え、パルミラ神殿の破壊を見ると、権力者たちが自国へ持ち帰ったのは、このように状態も保存されていて、将来的にみて正しかったのかも知れないと思い初めています。
次はいよいよブランデンブルグ門。ベルリンを東西に分かたう象徴的なゲートです。4頭の馬に引かれた馬車に乗る女神の勇ましい姿!アテネの神話の門がテーマとのことです。この日はサッカー観戦場にゲート下が設えられていて、西側を見通すことが出来ず残念でした。東西に抜ける大通りは「ウンター・デン・リンデン=菩提樹の下」と呼ばれ、その名のとおり菩提樹の並木がつづいているのです。まだ若樹だったかもしれない菩提樹たちは、冷戦時代に引き裂かれた悲劇の数々を見つめるばかりであったことでしょう。  

                             つづく
13日(月)は市内観光の一日。ホテル前に停まったバスにはベルリン在住のライナーさん!プラハからずっとですからご縁ですね。ガイドはベルリン大好きというY氏60代・・。ちょっと早口だけど、菩提樹(リンデンバーム)の花盛りをきっかけに、樹や花の名前に詳しくて驚きます。男性の多くは関心の無い植物に造詣が深い訳は、小説など書籍からの知識であることもご披露いただけ、葉の裏が銀色のシルバーリンデンも教えていただきました。ぐっと親しみが湧きます。
午前中は通常の観光名所を巡り、まずは外すことの出来ない「壁」。冷戦の時代の愚かな建造物は、1989年に崩壊しましたが、ある箇所ではアーチストたちによるペイントで記憶を留め、私たちが訪れたのはナチのゲシュタボがあった跡。壁の表面がもはや崩れ中の鉄筋も見えています。東西の間隔が一番狭い箇所であり5mとのこと。30mのところもあって、夢を抱く人々が乗り越えて、地雷や銃撃で命を落とした緩衝地帯を想像するのは辛いものがあります。
私は中学時代にシャーロック・ホームズを愛読し、ミステリーの世界に魅かれ、以後西欧のスパイものを読み続けましたから、イギリスのMI6(情報局)と旧ソ連のKGBとの息詰まる攻防をハラハラ・ドキドキして読みながら、ブランデンブルグ門やチェックポイント・チャーリーなど、どのような所なのか、高架を走る電車のシーンなどは、窓からのベルリンの街を想像したものです。今ほど旅番組であちこち「街歩き」が出来たわけでなく、イメージするだけでしたが、壁の無いドレスデンでも煤けていたのですから、高い壁に取り囲まれた東ベルリンは、絶望感で心まで押しつぶされていたにちがいありません。壁が無くなることなど考えも出来ず、命を懸けて、命を落とした方々のご冥福を祈りました。

ベルリンへ向かう前に、7月15日にライプツッヒで行われた「バッハコンクール」のオルガン部門で、大阪・摂津市出身の冨田一樹さん(27)が日本人初の1位となったニュースに拍手です! 決勝の会場はバッハが音楽監督(だったのですね)を務めたトーマス教会とのこと。わずか1か月前に訪れた教会が、より親しみを与えてくれますし、冨田さんが現在留学中の音大(大学院)はドイツ・リューベックにあり、そこも10年ほど前にハンブルグ郊外での手芸展示会に、展示参加のあと訪れた味わいのある港町でした。なにか世界が近くに感じられ、また先週レッスンに来られた方から「ブログを見ていて、ドレスデンの壁画の綺麗なことに驚いた」と言われました。、どういうことかと尋ねたら、Nさんが行かれた20年前は統一後まもなくで、まだ壁画は埃をかぶったままだったとのこと。「これから洗います」という説明があったそうです。教会も瓦礫の山だったのですから、街中くすんでいたにちがいありません。ドレスデンの歴史を深く知ることが出来ました。

ポプラ?の並木道

博物館島と呼ばれる川に囲まれた地区

柱の上方にある花の彫刻はアガパンサス

博物館島とよばれるミュージアム地区へ向かう途中、建築家シンケルの設計した「無名戦士の廟」が左手に見えました!この旅が決まりベルリンのことについて読もう・・と、求めたのは今は亡き戦後の日本を代表する建築家・谷口吉郎さんのエッセイでした。第一次世界大戦後、1938年から39年まで約1年間に滞在したベルリンが描かれています。日本大使館の改築を依頼されて渡独されたのですが、第二次世界大戦の兆候がベルリンにも影を落とし始め、大工さんたちが戦場に駆り出されていくので仕事が進まず、その間に歩いたベルリンや近隣諸国のことが少しのスケッチを添えて書かれています。ギリシャの神殿建築から発想を得たシンケルは、1781年に生まれた古典主義派であり、その後20世紀に台頭した合理主義とは相容れぬものがありましたが、今もシュロス橋やバウ・アカデミー(現シンケル美術館)など数多くの建築が残されたベルリンは、シンケルが築いたといっても過言ではないようです。時間がなくてバスの車窓から僅かに1箇所見えただけでも、谷口さんのエッセイを読んだおかげと感謝したのです。

サッカーユーロ杯に向けて
あちこちの窓から応援の国旗!

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壁の跡

ペルガモン美術館

初夏のアンジュツアー

ドイツ Ⅱ  ベルリン ・ 
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さて、未踏のベルリンへ着きました。バスが市内に入って、ここはどの地区?とライナーさんに聞くと、「シャーロッテンブルグ」とのこと。聞いたことがあります。西南から来たので思った通りで正解だと、ひとりで合点。初めての街は興味深くキョロキョロ。線路の下をくぐると左手に見える駅は「ZOO]と教えてくれました。近くに動物園?
たどり着いたモダンなホテルは中心部から少し外れているので、夕食に出かけるのを止めてホテルの中庭で・・と思うけれど、この日は日曜日、おまけにユーロサッカーでドイツ戦があるからでしょうか、レストランのスタッフが手薄で時間が掛かるということですから、飲み物だけオーダーして、ショップからサンドウィッチを買占め、それぞれ部屋からスナック菓子を持ちより乾杯!どのようにも対応して楽しみながら旅は進みます。

美術館前の植え込みにアガパンサス!

ブランデンブルグ門 東から

劣化した鉄筋が見える壁

旧東側から西側の建物を望む

門の左手前にあるホテル・アドロンの
お洒落な自転車

祇園祭の前祭り(さきまつり)巡行も17日に無事終り、
梅雨も明けました。夏本番です。お元気で。asako 

2016/7/19