8月28日(月)10:20 関空発 KLM868便はアムステルダムへ向けて飛び立ちました。それまでの4ヵ月近くを、『ラブリーニット100デザイン』刊行のために、ギリギリまで猛暑の中で汗を流していたので、脱稿を終えての旅立ちですから心から開放された気分です。実は、今年は海外に出かけるつもりはありませんでした。しかし5月に新刊への仕事を始めたところで、とてつもなく大きなプレッシャーに見舞われました。自ら撮影したニットの中から100作品を選ぶことは容易かったのですが、少ない製図ページに割り当てる作品選びや、コメントの膨大な量などに圧倒されそうで、何か夢を見ることが必要と感じて旅への計画が同時進行。
当初は出版と「ニットアート展」を終えたあとの11月下旬を予定していました。しかし、今回のメインであるエストニアのキヒヌ島のことを調べていくうちに、寒くなったら島民は本土に帰る・・・と予想され、急きょ前倒しとなりました。8月末からのスタートは、もうひとつ行きたかったスウェーデン・ウプサラ近郊で開催される「サマーマーケット」が、今年は9月2日と3日と知り、逆算して決定!短い告知期間にもかかわらず、集まってくれたアンジュの生徒と、昨年「プラハの旅」でご一緒した東広島のFさんと、ご友人のKさんも加えて8名。添乗はもちろん日通のU氏。楽しい旅になること間違いなしのご一行です。そして、この夢旅行があったからこそ切り抜けられた大仕事でした。

アール・ヌーボーの建築家・エイゼンシュタインの設計による建物などを見ながらバスは北へ。リストの一番にしておいたけれど、道順としてはラストの「野外ミュージアム」へ向かいます。秋めいた午後の陽ざしが見上げるような大木からこぼれています。茅ぶきのシンプルな家は世界共通の、住むための原点。ダリアなどの花が窓辺近くに植えられ、もう秋めいた気温で爽やかです。晩夏の光景の森の中で、古きラトビアを散策しながら非日常のひとときを楽しみました。
すでに5時近く、これから2時間かけてエストニアのパルヌまでドライブ。野外ミュージアムのカフェでお茶をする時間もなく、バスの車中において朝の市場で買っておいたロールケーキ(カットをしてもらっていた)をいただくために、途中のスーパーに寄り、各自好みのドリンク類を調達。各国のスーパーマーケットも興味深いポイントです。立ち寄ったスーパーは、思ったより大きくて品数も多く、お手拭き用のペーパーナプキンもディズニーキャラクターのものを見つけました。

ひたすら田園風景を眺め、国境も越えてまだ明るい海辺のリゾート地パルヌ着。バスからイルさんに電話でディナーの予約をしてもらった「アメンデ・ヴィラ」は20世紀初めに裕福なリネン商人であるドイツの方が建てた元別荘。戦時中は旧ソ連軍に接収され病院になったり、カジノとなったりしたあと、ホテルとして使われ現在に至る・・と、帰国してからあるエッセイで知りました。知っていたら行ったかしら?と思うほど、ガイドブックでお洒落!と思った外観からは想像できない、なんだか不思議な空気感が漂っていたのです。案内された一番奥の部屋には小型の熊や山猫のはく製が壁に張り付けられていて、サービスをするウェイターはフランス語!美味しいけれど、吹き抜けロビーのアンチックさなどにミステリーっぽいものがありました。食事を終えて泊まったホテルは現代的な「パルヌホテル」でしたから幸いだったのです。

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さて、再び橋を渡り川べりにあるスピーケリ創造区へ。ここはレンガ造りの工場跡が、アートな場所となりました。その一角にゲットー・ホロコーストミュージアム。リガを調べていて「えッ、リガにホロコースト?」と浅学を認めずにはいられません。ラトビアもエストニアもリトアニアも旧ソビエト連邦だったのですね。幾多の侵略に翻弄されて1940年にはソ連に編入。1941年にドイツの占領下となり、1945年に再びソ連領となって、1990年独立回復宣言、1991年にソ連国家評議会が(多分しぶしぶ)バルト三共和国の独立を承認。しかし、オープンエアミュージアムに置かれた貨車に描かれているRIGAの文字には驚きました。ポーランドのアウシュビッツなど、収容所はベルリンより東・・と思い込んでいたことを恥ました。
リガにもゲットーがあり、苦しめられた人々はリガ郊外の森で命を粗末にされたのです。ゲットーに残されていたユダヤ人の住居が保存されています。ラビが案内人。このミュージアムはボランティアで組織され、入場料替わりのカンパを大きなガラス瓶に入れました。
ランチは目の前にある中央市場。第一次世界大戦で使われたドイツの格納庫から移築されたドーム型の天井が4つ並ぶ大きな市場ですが、時間も押していてランチのみ。イルさん推薦の水餃子風やジャガイモのパンケーキが庶民的で美味です。手作りの可愛い民藝品店もありのぞきます。

さあこれからエストニアへ向かう途中、最後に訪れるのはラトビア野外ミュージアム。その前にイルさんが「リネンの店にいきますか?」。もちろん連れて行ってください。旧市街でのショッピングタイムなど皆無と断念していたので嬉しい!「アルス・テラ」は、細長い店の奥に織機を3台も並べた麻織物専門店。ラトビアの産業は農業とのことですが、良質の亜麻が採れるので、麻製品が注目です。感じの良いスタッフにアトリエで説明を受け、いよいよお買い物タイム。モノトーンをメインとした上品な配色。お洒落にディスプレィされていたストールが次々と引き抜かれ、カウンターに山!このとき2本買われた方が、帰国後に「もう一つ買って来れば良かった」と残念がられました。

2017 晩夏の旅 Ⅰ

アムステルダム空港のお掃除時計

朝のリガを
ホテルの高層階から

ケルン・リガ・ウイーン
他3面にもドイツ各地などの都市名が
描かれている

ガイドのイルさんとミュージアムのボランティアガイドと
左端には見知らぬ旅人

エストニア・パルヌ
アメンデ・ヴィラ

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撮影hosokawa
(以下Hと表示)

つづく

8月29日(火)

翌朝、同室のMさんと朝食前にちょっと外へ出てみます。ホテル前の公園を横切るとロシア正教会。中にお邪魔して旅の安全を祈ります。トロリーバスも走り、通勤時間が始まる街の雰囲気も掴めました。
市内観光はガイドブックなどからチェックしておいた数か所を提示して、イルさんにコースを任せます。まずは左岸にある20世紀の初めに出来た「アーガンスカルヌス市場」へ。建築家・シュメリング設計のレンガ造り。左手の屋外テントにはベリーやスイカなど果物と野菜が色とりどりで美味しそうに売られています。屋内は天井が高く閑散とした雰囲気ながら、美味しそうなケーキ屋さんや肉屋さん、そしてニット製品の店もあり、さっそくお買い物をされる方もいます。
どこの国でも市場は主婦にとって親しみの沸くところ、どの街でも欠かせない見どころです。

ラトビア野外ミュージアム

ミステリアスなデイナー

11時間半飛んでアムステルダムに着きます。一昨年、フィレンツェへの際も利用したので、皆さんかって知ったる空港ですが、出発ラウンジで目にしたのは「不思議時計」。まるで中に人がいて、本当に掃除をしているように見える画面に釘付けです。一分毎に長針を消しては描いていくのですから、だまされてしまうトリックに見とれました。
さて、5時間のトランジットののち、乗り換えて向かったのはラトビアのリガ。バルト3国といいますけれど、この旅は余裕が無く南のリトアニアには行きません。出発から通算すれば日本時間の未明頃、アムスから2時間15分で初めてのリガ到着! ところが早くホテルへ・・と思うのに、現地ガイドのお迎えが見当たりません。U氏も空港の外へ出てみたり電話を掛けたりするのですが、途方に暮れるころ「日本からのアンジュさんですか?」と初老(と見えた)の紳士が、柱の陰から現れて、びっくりするやらホッとするやらで一件落着。情報に齟齬があり、「タリンからの便で到着時間もKLMより遅いものと聞かされていた」とのことでした。リガ在住のイルさんと一行はベンツの中型バスに乗り、現地時間夜の11時ですから暗闇の市内を案内されながら近代的なホテル着。

次はキープサラ島。ダウガヴァ川に沿って細長いこの島は、公園などの緑地帯もあり、旧市街から移築された木造建築が観られる高級住宅地。良い天気に恵まれ対岸にはイルさんおススメ、「リガ城」のシルエットも美しい旧市街の遠景も眺められ、川べりのレストランが設えた張り出し席がブルーのストライプで爽やか! 思わず立ち止まって見上げてしまう、美しい家の主が大型犬と庭に出て来てくれて、英語では通じないけれど、大きなアナベルや、うすいピンクのアジサイなどの見事さを讃えました。笑顔で応じてくれたので伝わったかしら。

リバービューの家の庭

市場の屋外テント

ベリーがいっぱい!

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リガ城のシルエットが対岸に・・・

アーガンスカルヌス市場

ベリーの巻かれたロールケーキを
3~4cmに10カットしてもらう

三匹の魚が風見!
ファブリカス レストラーンス
元工場をリメイク!水上のテラスは
夏限定とか

リガのリネン店 「アルス・テラ」

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朝晩涼しくなりました。お元気で。

2017・9・16 asako