その後、西の端にある灯台見学。灯台守の家の中もショップになっていて、小ものを並べています。きっと夏の間だけオープンなのでしょう。可愛いお土産ものに最適品をを分けていただいてから、森の中のキャンプ場みたいなところでランチ。そして移動していよいよ民俗舞踊の見学です。島一番の編みもの名人、ローシさんの家の前に絨毯が敷かれ、写真で見ていたのと同じ衣装を着て8人が歌い踊り、ひとりがアコーディオンで演奏。迫力満点!夢にまで見たふくよかなおばあさんたちのショーにワクワクしてしまいます。
みんなで一緒に写真を撮りました。ここまで来なければ見ることが出来ない貴重な想い出です。この島は世界遺産であるけれど、民族遺産でもあるのでしょう。歌いながら編みものをしたり、歩きながらでも編むというのですから、それも誰ひとり眼鏡を掛けていないことに驚愕しました。細かい模様を製図も見ずに針金のような針で・・・。漁師である夫の帰りを待ちながら、秋から春まで家の中でせっせと編み、織り、刺繍をし、伝統の手仕事を支えてきたおばあさんたちの健康を祈ります。
ローシさんの家の中も拝見。生涯作り続けた手仕事作品が壁などに展示され、またローシさん自ら作品の販売をされています。みんなで帽子や手袋など爆買いタイム!ここでトラックの一団が到着。狭い島なのに、これまで出会わなかったということは、上手にプログラミングされているのだと合点。踊りのリーダーでもあったマレさんと交代した若手の方の案内でご自宅へ伺います。広々とした敷地に親戚の家などが点在し、羊がいたりお姑さんはじゃがいもの収穫をしています。この家で一番の見ものは、クローゼットいっぱいの「花柄エプロン」。木綿から正装用のシルクまで、半端ないコレクション!ユネスコの仕事もしていて、キヒヌの若きリーダーとして、これからも伝統を絶やさずに尊い手仕事を世界に発信していくエネルギーを感じました。もう再び訪れることはないと思うキヒヌ島に分かれを告げ、また午後一便に乗船して4:30にムナライトに向かいました。

1時間でキヒヌ島着。デンマークからと判明した元気な女子会は、私たちも乗るものと覚悟していたトラックに乗車して島めぐりに出かけました。ソビエト製というか、ソビエト時代から島で唯一の乗り物だったそう。梯子で昇り降りし、無蓋ですから私たちには信じられないけれど陽ざしを浴びてのドライブ。誰も帽子や日傘などささないで、やはり北欧の方たちは夏の間に太陽を存分に吸収するのですね。
バスに乗り込んで来られたガイドのマレさんは、やっぱり縦縞のスカートに花柄のエプロン、花柄の小袋を下げています。縦7km横3.5kmという小さな島を案内してくれます。まずは小さな入り江で下りて、この島の仕事である漁業のお話しを。ここでコルホーズという言葉が出てきてビックリ。旧ソビエト領だったことを失念。この西の果ての小島からもモスクワへ収穫物が届けられていたのです。
次は村の教会へ。カソリックからルター派を経て19世紀にロシア正教に改宗。信心深い村民の愛する教会です。その向かいに小学校があり、一部がミュージアムとなっています。マレさんは英語で説明をしていてくれたのですが、通訳のイルさんは日本語ほど英語が得意でないようで、通訳してくれている途中で「ロシア語で話してもらっていいですか?」と、思いがけない問いに「どうぞ!」。隣国とはいえエストニア語は分からないそうです。共通語がロシア語というのも、つらい悲しい歴史です。ミュージアムの片隅にショップがあり、私と広島のFさんがスカートを購入!赤や黒やピンクやグリーン。ウールのストライプ地を縦に使っているのです。普段はちょっと派手ですが、展示会の折にでも着てみますね。

2017 晩夏の旅 Ⅱ

8月30日 7:30 パルヌからムナライトへバスで移動。この旅のメインイベントであるキヒヌ島へ向かいます。地域で共同購入する、第二生協とも言われる「Lコープ」に加入しているのですが、カタログとともに配布される「本の花束」を愛読しています。そこで紹介されていた『エストニアの手編みこもの』を注文。おばあさんたちが縞柄のスカートと花柄木綿のブラウスで編みものをする生活に興味を持ちました。
細かい編み込み柄もさることながら、お嫁入りの際には手袋や靴下を引き出物として40組も作るって、驚きの習慣。TVでも取り上げられたようですが、観る機会が無いまま今回の訪問を楽しみにしていました。
エストニア人のウィリアムさんの運転する小型バスは、8:30分フェリーにみんなを乗せたまま乗車。2階の客室へ行けば、午前に一便しか無いのでおおよそ満席。出発もしていないのにテーブルや長椅子に座って、早くも編みものをしているご婦人たちがいます。エストニアの人たちは、やはり手編み好きなのだ・・・と思いながら、私が紺ブレを脱いだ途端、「ちょっと待って!」と体を後ろから抑えられ、カメラでカシャ!「天使と幾何柄のサマーカーデ」を着ていたので目についたのでしょう。まあ、そういうことなら・・・、「みんなここに並びましょう!」と、即席のファッションショー。アンジュのツアーは自作を着用が必須です。ちょっとテーブル席を回って歩いたりしました。船室が打ち解けて、思いがけないひとときとなりました。

昔の農家で編みものをする婦人

上の写真の後向きと同じ方
ユネスコの仕事も手掛ける
若きリーダー

庭のキンモクセイが咲き始め、良い香りがしてきました。
今年は秋が早いようです。
旅日記もⅡまできたけれど、ストックホルム編は10月半ばを
過ぎると思います。悪しからずご了承ください。お元気で。


2017・9・25  asako

野外ミュージアムの馬つなぎ柵にて
左から2人目がアデーレさん

H

延々とつづく花屋さん

裏通りの洋装店で

タリン

エプロンだけのクローゼット

ミュージアムの中の裕福な家の窓辺

市内とは思えぬ野外ミュージアムで森林浴のあと、トームベアと呼ばれる貴族や支配者が暮らしていた高台に登り、赤い屋根の可愛い旧市街を見下ろします。石畳の坂道を下り、ラエコヤ広場に面したレストランでランチ。何気なく決めたけれど、お洒落で美味しいお店でした。ここで一時解散。私はカメラの調子が悪くてシャッターが下りないので、バッテリーに問題があるかもしれなく、新しいものを求めてアデーレさんたちとショッピングセンターへ。
リガに比べると格段に観光客が多く、少しざわつきすぎ。城壁に沿ってぎっしり並ぶセーターなどの屋台も、キヒヌでしっかり編まれたものを見て来たので素通りします。15分ほど歩いてショッピングセンターに着けば、そこは有名ブランドも入っている、どこの国にいるのか分からない商業施設でカメラ屋もあり、レアものの一眼レフのバッテリーがあったことが奇跡のようで助かりました。
あれこれお目当てのエストニアものを探している方たちはアデーレさんと一緒に地下にあるという巨大なスーパーへ。私はMさんと広場に戻ります。その途中、花屋さんの立ち並ぶ一角があり、見とれているうちに旅先なのにブーケに目が留まります。アデーレさんへお礼にプレゼントしようと、小ぶりでオレンジ色のダリヤなどが可愛くて綺麗なものを選びました。広場のカフェで荷物番をしていてくれた添乗員のU氏からセーターなどの入った袋を受け取り、またブーケを預かってもらい、途中で分かれてひとりで行きたかったところへ向かったアシスタントを待って、Mさんと3人でロケへ。このたびは時間もあまり余裕がなく、初めてと言ってよいほどの撮影タイム。シャッターも押せてほっとしました。

タリン旧市街

ムナライトからタリンへ行くのですが、夜遅くについてからディナーよりもと、海辺を走り、やはりリゾート地であるハープサルに寄り道。ハープサルレースの有名なところですが、ミュージアムはクローズしている時間であきらめました。ロシアの作曲家・チャイコフスキーも気に入ったリゾートで、「ハープサルの想い出」という交響曲もあるとか。記念碑もある海辺のプロムナードを少し散策。そして19世紀のカフェレストランへ。ここはエストニアに詳しいウイリアムさんがいてくれてラッキーでした。白樺を使った店内も独特、温かい料理に満足して、車内で少しまどろみながらタリン着。ラトビアのイルさんとはここまで。本当は8時ごろ着予定だったので夜行バスでリガへ戻るつもりだったけど、遅くなったから明日にすると言って困った風でもなく、初めてのキヒヌとハープサルでの学習?にとても満足していたようです。ありがとう日本語教師のイルさん!

8月31日 タリンではアデーレさんという30代の女性がガイドさん。日本語は別府にある立命館アジア国際大学で学んだとのこと。さすがエストニアらしくIT企業に勤めるご主人との間に二人の幼子がいるとのことです。ここではまず市内にあるので「野外ミュージアム」へ。32年前ほど前、家族4人でパリを起点にヨーロッパ各地を回ったことがあります。まだ子どもたちが幼かったこともあり、ストックホルムでは「スカンセン」という野外ミュージアムに行きました。その国の歴史と文化に出会えるオープンエアーの雰囲気に魅了されたのですが、今ではどこの国でも見られるこの施設は、ストックホルムのスカンセンが原点と聞いて納得です。エストニアの公用語はロシア語と英語に加えて、フィンランド語とスウェーデン語もあり、バルトの国の中でもとびっきりのインターナショナルな街。スカイプの発祥の地と聞けば、これも納得です。多くの言語が行き交う訳には支配されてきた過去も含まれ、ヘルシンキからフェリーで1時間半の距離というのも、平和なときにはありがたいことでしょう。そしてロシアは今も東隣りにいます。

ローシさん宅前の木陰が舞台

即席ファッションショー

旧市街のあちこちを回りながら広場に戻り、再集合したところでアデーレさんに花束を渡すと、驚いて「こんなこと初めて!」と、ウルウルと涙目になって感激してくれました。こちらこそタリンのお花屋さんで花束を買えるなんていう楽しさを味合わせていただけて嬉しかったです。
ショッピングセンター近くに停まっているバスまで、アデーレさんはひとつ山側の石畳を歩いてくれます。広場の周囲とは雰囲気の違うお洒落なお店が左右に並ぶ様子に、思わず数か所で足が止まってしまいました。
バスに乗って数分の港へ向かい、ストックホルムまでの船旅が始まるのです。ドライバーのウイリアムさんは奥さまも一緒に仕事をしているという起業家?とてもきちんとした方で、英語で会話のエリートでしたがお別れです。「多分、リガまで迎えに来てくれたと思う」とU氏。このごろはドライバーも高齢化で移民の方も増えていく情勢の中で貴重な存在かもしれません。バルトは今人気があり、今後もいそがしく走り回ることでしょう。
「TALLINK」のターミナルまで送ってくれたアデーレさんともさようなら。遠い異国で日本語をを愛するひとたちに会えたことも旅の記憶に残りました。

旧市街の中心・ラエコヤ広場

つづく

タリン港

彼女の家の羊たち

ソビエト製トラック

キヒヌ島の
ガイドは
元教師の
マレさん

・・・・・・・

右から3人目がローシさん

製図も見ずに編むデンマークからの方たち

ミュージアム