しかし気を取り直して再びバスに乗り次の「オビドス」へ。ここも高台にあり1288年、ポルトガルの国王デイニス一世が王妃イサベルと新婚旅行に訪れた際、王妃が気に入ったことから「王妃の村」と呼ばれるようになったそう。ポルト・ヴィラという1380年に造られた門をくぐります。鍵の手となった敵を防ぐクランク型の門の内壁には18世紀のアズレージョが残っています。
二手に分かれた上の道はお城へ向かうディレイタ通り。石畳の両側にぎっしり商店やカフェが並び、レースや刺繍、陶器などジグザグ歩きをしてしまう。ポルトガルはコルクも有名で、丁度腕時計の電池が切れて困っていたので、電池を探すよりも記念にと、コルクのバンドが優しい時計を・・・。ここでもひとつ上の裏通りを歩いて戻りましたが、道は斜面にそのままで、住人の方々の体幹力に敬服です。
さあ陽も傾いて来ました。いよいよ首都リスボン。街歩きの明日に備えて早く休みましょう。   つづく

季節外れのリゾート

では通り過ぎてきた「アベェイロ」へ。アベェイロまでは観光コースに入っているらしく観光客もチラホラ。中世に栄えたアヴェイロ、砂地で農業を営むために畑にまく海藻をあつめていた小舟(モリセイロ)が彩色されて今や観光のポイントに。
運河を行き交うモリセイロと落ち着いた家並みが旅人たちを魅了しているのです。有名な修道院が発祥のスイーツ(オヴォス・モーレス)という甘いたまご菓子を求めて入ったお店のカフェで窓際の席でくつろぎ、静かな街並みを眺めました。

2020  ポルトガル・モロッコの旅 Ⅱ

3月4日(水) 8:05 ガイヤ地区の高台にある高層ホテルを出発。リスボンまで南下しながら幾つかの街を巡ります。
まずは1時間ちょっとで海岸沿いに広がる「コスタ・ノバ(北の海)」。
小さな村落ながら赤と白、青と白など奇抜なパジャマ柄と呼ばれるストライプの家が並ぶというのですから行かないわけにはいきません。途中渋滞もなく閑散としたリゾートに到着。観光客は私たちだけ。

COINBRA

図書館
米粒みたいな私たち

花柄のアズレージョ

着飾ったモリセイロ

コインブラの旧市街

さあ、ランチは予約してくれていたミュージアムに併設のテラスレストラン、街を見下ろしながら新鮮なサラダなどバイキングでいただきました。中世の面影の残る旧市街の石畳の坂道を下りて行く途中、広場にたむろしていた学生?たちから、コロナ・・・という言葉が発せられ、ポルトの駅近くでも酔った大人が数人で顔を隠すような仕草などされて、アジア人と見られる弊害は不快なものです。

私はこの旅の一つの目的である秋に刊行予定の本のために、数点撮影しなければなりません。皆さん三々五々オープンしているお店など覗きながら、ストライプの家など撮ってのんびりタイム。その間アシスタントやSさんとニットを抱えて裏通りなどを歩き、お洒落なドアや窓辺を拝借してパチリ!
ポルトガルをイメージしてデザインした「アズレージョのベスト」も出発間際に編み上げ、機内で糸始末をしたのですが、シックなお宅の柵に掛けてOK!.どの家も別荘のようで人影も見えません。

門の内壁のアズレージョ

さて、道中の半ばにある「コインブラ」へ向かいます。ポルトガル最古の大学の街は丘の上にあり、図書館と、アズレージョの美しい隣接する礼拝堂も必見です。ガイドのY女史は京都外大を出たあと、このコインブラに留学し結婚もされて、現在はリスボン在住ながら思い入れの深い街のようです。どこでも説明が長くて、他のツアーが居なくなってもまだ続いているという希少なガイドさんでありました。

白いカラーの花

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大学の礼拝堂

サンタマリア教会脇の家
腰壁に塗られたブルーがチャーミング

COSTA NOVA

パジャマの家々

OBIDOS

AVEIRO

海から帰る漁師に
目立つように・・

目抜き通りから一本上の古道
まだ上にも伸びている

日を追うごとに世界が沈んでいくようです。かって経験したことがないけれど、フランスのマクロン大統領がいう一種の戦争・・とは思いたくありません。このような時にこそ謙虚に生きねば。
昨日「ねねの道」に近い菩提寺にお彼岸のお参りに出かけました。円山公園の大きな桜の木もほころびかけていました.。でも看板には「宴会禁止」の警告。今年は海外からも桜を見に来ない、寂しいお花見となるのでしょうか。引きこもらず、ひと気のない屋外で深呼吸をして過ごしましょう。 asako

2020・3・19

お菓子やさんのウインドー

ランチをとったレストランから見下ろす

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