「昼のあと帰りますわ」というYさんに便乗して初めての小倉山下りをします。皆さん三時くらいまで作業されるのですが、寄りたいところのある私は一人では下りれないし・・・と思案していたのでラッキー!皆さんの継続力を称え、「また寄せてください」と、ご挨拶して失礼しました。
「えっ、ここを下りるんですか?」と愚問が出るほどの急坂、いきなり山道に入ります。登山なんて数年前の仁和寺の裏山(京の八十八か所)巡り以来。落ち葉が降り積もった岩場のようなところもあり、慎重に足を運びます。歩きなれたYさんの足手まといにならぬよ、必死でついて歩きますが、視界が開けると京都市内が見渡せて思わずパチリ。
まだかしらと思うころ山陰線の警笛が聞こえてきます。約40分で『大小内山荘』の裏手に出ました。山道に張り出したモミジが午後の陽ざしを浴びています。そしてようやく亀山公園、Yさんから「早いですよ」とねぎらっていただきましたが、この朝タクシーに乗らなかったUさんは、この道を26分で上がってこられました。毎朝、秋田犬とともに登っているそうで、夕方は一人でという日課に、尊敬して目をまわすしかありません。ここから嵐山の銀座と呼ばれる竹林の道を通って出発の嵐山駅に戻りました。

嵐山は清水寺とともに、京都の人は観光シーズンには近寄らないところとして有名です。私は7・8年前に「嵯峨・落柿舎」で開かれる個人的な俳句会に参加して以来、きれいだろうとは思いながら足が向きませんでしたが、エイヤッと出かけてみればコロナで多少減少したとはいえ、やはりひとが集まるのも仕方ない美しい光景でした。
『小倉山を見つめる会』に問題があるとすれば高齢化でしょう。Kさんんももう80代半ば、伐り出したものを運んではくれる行政も、あとは見て見ぬふり。全国津々浦々に山林を見つめる会が存在し存続してゆけば、それは豊かな国といえるにちがいありません。私は知人たちがつづける活動を、とても誇らしく思った師走のひとときでした。

2021・12・7 asako

竹林も師走

  展望台から保津峡を見おろす
岩田山中腹の「大悲閣」とふもとの「星のや京都」

「大河内山荘」の西裏手 山道に張り出したモミジが見事!

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2021 初冬

1982年、旧国鉄時代に山陰線複線化工事が開始され、トンネルの掘削から生じた残土が放置されたことに付近住民たちが立ち上がり、京都市と国鉄(途中からJR)に対して裁判に持ちこみ、最高裁まで闘った先頭にいたのは、敷地が隣接する『常寂光寺』の故長尾住職さんでした。そのころから新聞報道などでいきさつと経過は知っていたのですが、狭いようでいて広い京都では遠方の出来ごとと思っていました。
もう10年以上も前になるでしょうか。私が「憲法九条京都の会」にかかわるようになったとき、この会の主宰者であるKさんと知り合いました。お会いするたびに『小倉山通信』というプリントをいただき、その活動の一端を拝読していました。いつか行きたいと思いながら、母の介護などで「九条の会」を離脱すると連絡も絶えましたが、この夏ちょっとしたきっかけがありKさんと再び音信が復活しました。驚いたことに「小倉山」を見つめつづけていらしたのです。30年にわたって継続されていることに敬服し、その活動に参加させていただきたく同行許可を乞うと、「もちろん!いつでもどうぞ!」とのこと。月に2・3回というスケジュールの中で4日を選ばせていただきました。
フェンスの中には道具小屋があり、おひとりが開けられると、「おお、もう来てはる」と、メンバーの先行を確認。ふかふかの気もちの良い足元、活動の過程で京都市や企業などのカンパも含めて松や楓、桜なども植林され静かな公園といった風情ですが、放っておいたらただの森であったでしょう。
遠くから先達のTさんが「今日は7本!」と腰に下げたノコギリケースをカチャカチャ音立てながら戻ってこられました。すでに今日伐採する枯れ松にリボンを付けて回ってこられたようです。

植林事業は京都市にとっても大仕事で、当時の写真には大勢の参加者がみられたものですが、今はKさんたち数人によるボランティアの献身力が、山の自然回復を見守りつづけているのですね。さあ手袋をして作業開始。この日はノコギリが新調されて、さっそく伐り出した直径20cmあまり、高さ4mくらいの枯れ松も「よう伐れるわ」と感嘆の声。
大木ではありませんが、メリメリと倒れていくさまは迫力があり、すぐさま三分の一ほどに伐り分けられました。丸太は転がし小枝のついた上側は引きずり降ろして広場まで運び、小枝を取ってから大きさごとに積み上げます。
毎日のように小さな庭の木の世話をしているのですから、私にとって苦になる仕事ではありません。おまけにフェンスの外は山歩きのひとも時折通りがかる山道なのに、作業するひとたちだけの空間ってスゴイこと。桜の樹もあちこちありますから春には絶景?と思っていたら「また春に来たらよろしいわ」と嬉しい言葉。
三本目の伐採を終えたところでランチタイムとなりました。リュックサックなどは木の枝にぶら下げていましたが、ピクニックテーブルやベンチもありのどかです。ここに直径8m、深さ30mの縦穴が掘られ、そこからトンネルを掘り進めたのですから、どれだけの残土が出たことでしょう。当初は亀岡にあるため池に埋めて宅地開発のつもりが、バブルが弾けて残土の行き場がなくなり、そのまま放置されたという怠慢さ。しかし粘り強く裁判にまで持ちこんだが故に、敬服するしかない努力の賜物として心地よい空間があるのです。

小枝と幹の太さで選り分ける

歩きはじめた取り付け道

「寂庵」の近くに住むTさん宅のユズをいただく

12月4日(土)、紅葉狩りもこの週末まで・・・と思われるころ、あの嵐山へ行きました。朝10時「嵐電嵐山駅」に集合したのは『小倉山を見つめる会』のメンバー4人、以前は麓から登って下りたけれど、このごろ行きはチョンボしてタクシーに乗ります!という嬉しいプラン。飛び入りの私がお邪魔虫となってはじき出されたお一人は、遅れて来るかもしれないメンバーを待って後を追うそうで申し訳ない。
嵐山の雑踏を抜け、清涼寺やお豆腐の「森嘉」の前を通って嵐山・高雄パークウェーに入ります。抜けるような青空の好天気、残り紅葉への期待もふくらみます。展望台の先を少し下ったところで下車。ここから山道を少し歩くそう。足元の紅葉した落ち葉を思わず拾い集めてしまいます。散り紅葉を踏みしめながら、見上げればお陽さまに透かされたモミジに感嘆!初めて訪れる未開の森へいざなわれます。結構登ったところでフェンスを開けて、いよいよ皆さんの目的地に到着です。

この日、一本目の枯れ松

約15分ほどで・・・

このあたりに縦穴が・・・

若木には鹿よけの柵

13年の年輪

毎年いただくリース
今年は赤い仔馬のオーナメントを添えてみました。

駆け足で通り過ぎた一年が終わります。穏やかだった日々が戻るのか不安な日々でした。そのような中で、それまでの生き方が問われる日々でもありました。気力や体力が失せたひと、コロナが無ければ負わなくて良かった災難に出会ったり、また生き延びる力を蓄えつづけたひともいます。
私にはニットデザインという分野で、新たな創作意欲を刺激できる、そのような作品造りに向かう毎日が尊いものでした。アトリエから眺める季節の移り変わりも心を鎮めてくれました。
来年もまた元気で過ごせるよう心と体を鍛えましょう。皆さまどうぞ良いお年を。

大沢の池と広沢の池 その向こうに比叡山

こちらは南東方向 山裾は渡月橋あたり