ゲストルームでの里美さん。
クッションもカーペットもモロッコで求めた
オシャレな手織りのコレクション

パリのシャルル・ド・ゴール空港には28日am7:00着。時差があるので6時間の飛行でした(総計18時間強!)。
なんと懐かしいターミナル1。30代の中ごろ空の旅をスタートさせたころには出来たてで円形のオシャレなターミナルでした。それがいつの間にかターミナル2が建設され、ターミナル1は忘れかけていたのですが、パリオリンピックに合わせてでしょうか、まだ一部改装中ながら以前とは異質ともいえる美しい変貌ぶりでした。しかし地下を潜るような起伏のあるトンネル通路は、天井や壁面のタイルもモダンになっていて動く歩道の感覚は蘇りました。また上階へは円形の中央部を吹き抜けにして、透明のカプセル内が動く歩道となっているのも懐かしい。
曇り空のパリの朝、タクシーで市内へ。数年前から空港から市内へは一律料金となり、セーヌ川の手前と向こうでは異なります。距離と時間に関係ないとはいえ、この日は事故とまでは行かないけれど自然渋滞につかまって、いつもの倍くらい時間がかかりましたが、そんな時一律料金は助かりますね。イライラとしていたアフリカンの運転手さんには、気もちチップを多めに差し上げたら、笑顔が弾けましたけど・・・。
私がパリ行きを決めたあとで、里美さんはブックフェアのご招待でシンガポールへ行くことになり、スケジュールが重なって帰国が夜になるので「会えるのは次の日のお昼すぎね」とのこと。なんと初めてのゲストルームですごす丸一日のひとり時間。玄関の暗証番号を押し切らないうちに、中から扉が開いてホッ。「コンシェルジュさんですか?」、「ウイ」と言ってうなづかれ、やれやれ大きく重いキャリーケースを階段の多い敷地内で運んでいただけるようです。ポストに入っているという部屋の鍵を取出そうとBAGの中から郵送されてきた鍵を探していると、管理人さんが里美さんの部屋のインターフォンを押すのです。ええッ居ないのにと思ったとたん「アロー?」と里美さんの声。「えっ、あなたどうしてそこに居るの?」。思わず四角い箱に向かって叫んだ私。里美さんは前夜帰国されていて、私が着いていないので、「カタール航空に電話したけどつながらなくてヤキモキしていた」とのこと。お互いに帰国と到着時間に微妙な齟齬があったようです。私にとっては何ともありがたい思い違いでした。
この日はお互い長旅のクールダウン。4階でランチをいただき積もる話に花を咲かせて、いったんそれぞれ自室で休息。あらためて夕方里美邸に伺い、白夜のパリで9時近くまでお邪魔させていただきました。  


初夏のパリへ

とうとう夏至の日に梅雨入り!の異常気象、困った夏が始まりました。梅雨前の真夏日ってちょっと感覚が狂いましたね。ところで5月27日から6月4日までパリに行って来ました。爽やかな初夏と思い込んで出かけたのに、パリもまさかの「5月に悪天候中」でした。TVでは農家の方が「気温が上がらないので生育が遅い」とか「葡萄畑では病気が発生」など、いずこも温暖化の影響を受けているようです。
今回のひとり旅は、昨年出版した「京都・わが心のオアシス」の続編のための取材でもあります。ようやく本が出来上がったころ、「次は海外編ですね」と大垣書店の出版部長さんに言われて「?・・・」。でもそう言われれば文中にも『マルシェ』の項で、「またいつか京都から出かける海外のオアシス巡りのことを書く機会があるとすれば、里美さんのアパルトマンが一番に登場するでしょう」と書きました。
2月頃でしたか「下の部屋のリノベーションが終わったから、ぜひ泊まりに来て」というメールが届きました。モンマルトルの丘のてっぺんに大きな館があり、広大な庭園まである敷地にはAからE棟まであって、在住27年の里美さんは誰よりも居住年数の古い主のような方です。私にとってはサクレクール寺院の鐘の音が届く夢ようなオアシスに、また新たなゲストルームが生まれたなら、それはぜひ行って見なければ・・・。

27日19:00、今回初めてのカタール航空R803便は関西空港を離陸。およそ10時間半(途中6時間くらい寝ました)でカタールの首都ドーハに到着。エミレーツ航空でドバイには何度か立ち寄りましたが、ドーハは初見。現地時間pm11:30でも市街地の夜景はくっきりと光の造形美。産油国らしい豪華な空港内も興味深く、高齢者として久しぶりのひとり旅に多少懸念していた不安感はどこかへ消えてゼロ!
28日am2:30パリへ向かって再び離陸。バグダットなどアラビアらしい都市の夜景を見下ろしながらチグリス河に沿って北上しての夜間飛行。昨年のケルン行のときもでしたが、眼下の左手地続きにはガザがあり、黒海を越えるころには右手にはウクライナ。一向に停戦へと歩まない、むごい戦争が展開されていることを思うと心の中で手を合わせるだけしかできません。シベリア上空を呑気に飛んでいたころが懐かしく、アンカレッジ回りや南回りの航路を余儀なくされている現状は永久的なものでしょうか。

フランス的に言えば2階、日本では3階にある新居ですが、大分以前に泊まったことがあるのです。日本の方が所有されていて、希望される旅行者にレンタルされていました。毎年婦人服のレリアンから出されているオシャレなカレンダーを手がける橋本清一画伯が定宿にされていて、何度もお会いしたことがあります。もちろん大阪の阪急百貨店の画廊展にお伺いしたこともありますし、パリが大好きおじさまでエスプリを利かせたエッセイつき画集の出版もたび重ねていらっしゃいます。
そんなお部屋を買い取ってリノベーション。古びていた室内を剥がして、一からのリノベーションでしたから一年近くかかったようです。「まあステキ!!」。メールに添えられた写真で想像はついていたとはいえ、4階の東向きの里美邸と反対の西向きですが、あとは瓜二つの素敵な空間!本棚も設え、地下室から運んだ大切な書籍でギッシリ。床材もパリじゅう駆け回って探したそう。キッチンもバスルームも両開きの窓の向こうにポプラが見えます。何もかも居心地よくて快適に過ごせそう。ありがとう里美さん。  つづく

2024・6・22 asako

明るく可愛いキッチン。庭から摘み取ってきて、
「あなたのキッチンへ」と手渡してくれたバラ。

懐かしいカプセル内の動くスロープ

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パリに着いたカタール航空R803便

西に面したテラス。見上げるようなポプラの樹と、
遠くに白い館が見えるだけ。静寂に包まれたオアシス